皆さんこんにちは。年号も『令和』に代わり、日本初の公式10連休も残念ながら終わってしまいましたね。
5/7(火)の小学生の授業前、塾生達もやる気がちょっと下降気味かなーと心配していたら意外にも、来月行われる漢検や数検の話で大いに盛り上がり、みんなやる気満々でした^^中学生も中間テストが近いのでみんな頑張って来てくれました。
さて、『努力は必ず報われる』という言葉が昔からあります。そもそも『努力』という言葉には『目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。』という意味があります。
「努力してるのに成績が上がらないな―」と感じている子供達の声をよく聞きます。他塾でプリントを何十枚もやっているのにほとんど点数に結び付かないという御父母の相談もよく受けます。それはきっと『努力の仕方、捉え方』に問題があるのではないかと考えます。
まず、勉強において『努力』とは『自分の能力(学力)が上がること』を指し、『報われる』とは『成績が上がる(テストで良い点数が取れる)、志望校に合格する』ことだと考えます。自分の能力が上がらないものをいつまで続けても良い結果には結び付きません。
学校の先生や塾の先生達は子供達に『努力しなさい!頑張りなさい!』と言います。でも、子供達は最初、努力の仕方を知らないんです。先生達は解法や重要ポイントだけでなくそれをどうやって自分の中に取り込むかという『努力の仕方』を『それぞれの生徒ごとに』教えてあげなければいけません。やみくもに同じ問題集やドリルを全員に与えて『毎日これをやりなさい。』だけでは成績が上がらない子供達が大いに出てくるでしょう。
昨年教えていたとても成績のよい中学生が、ある日自習室で一生懸命漢字の練習をしていました。1ページに20個くらい漢字があって、5ページ分それをノートにすべて10回書きをしなくてはならないと言っていました。学校からの課題だというので内容を見せてもらうと進級式のドリルのようで小学校3年生くらいからの漢字がずらっと並んでいました。「住所」「神様」「銀世界」など黙々と10回ずつ3時間かけて書いていました…しかも、ノートを提出するだけで特に後日テストもないと言っていました。この理不尽すぎる学校の課題はこの生徒にとって全くと言っていいほど意味がありません。日本の教育の根本には「みな平等」という精神論があります。能力に関係なく皆に同じ課題を与えることで不平・不満を封じ込める教育観です。欧米とは大きく異なります。だからこそ塾が必要不可欠になるという構図なので私の心境としてはちょっと複雑なのですが…
私がもしもこれと同様の課題を塾生達に出すとするならば、まずは抜き打ちでテストを実施し、答え合わせをしてから間違った漢字のみノートに5回(間違えがひどい場合は10回)ずつ練習です。これで十分です。生徒それぞれのできなかったところをできるようにすることが『努力の仕方』であると考えます。『勉強はいつでも皆平等』という考えは私には全くありません。10人いれば10通りの努力の方法があるはずです。
例えば学校の先生が『今月中に1冊の本を読むように努力しなさい。』という課題を出したとします。本を読むことが好きな子が1冊の本を読むことに努力という言葉が果たして適当なのでしょうか?しかし、本を読むことが嫌いな子が1冊の本を読むということは大いなる努力です。このように、人によって『努力しなければならない量と質』は当然変わってくるので画一的に同じ課題を同じように与えることで効果が出る人と出ない人が当然出てくるわけです。
『努力』は必ず報われるの?②に続く
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